トラジャを好きになった話

 

気がついたらTravis Japanに落ちてはや半年が経とうとしてる。時の流れはやすぎないか…

 

わたし正直こんなにTravis Japanを好きになると思っていなかった。かわいいとか、かっこいいとかで終わると思ってた「好き」の気持ちが、気がついたらいっちょまえにこんなブログを書くくらいには、膨れ上がってしまった。あれ?もう年も年だし、西畑くんがグループの端っこから関ジュのセンターとして個人戦を戦ってきたあの数年間を経て、もうあの頃みたいな熱量をもつことはきっとないんだろうなと思っていたんだけどなぁ、おかしいなぁ。

 

関西担だったわたしにとってTravis Japanは「ダンスがすごい人たち。以上。」というくらい本当になにも知らなかった。優馬のバックで踊る兄組のダンス見て楽しそうに踊るのめちゃよいな〜〜てっなったり、BADBOYSとか49に出てた七五三掛くん?顔好きだな〜って思っていたり、そんな程度。ちなみにその頃わたしが見ていた限りのパフォーマンスで一番好きだったのは『交差点』。まず歌が好きっていうのももちろんあったけど、トラジャが踊る姿にめちゃくちゃ惹きつけられた。ただ単純にダンスが上手いんじゃなくて、ダンスを表現のツールとして使っている感じ。もしかしたらアイドルのダンスで、ダンスだけを見てすごく好きだって思ったのは初めてだった、かもしれない。ただ、あの歓声に対して「顕嵐くんの人気ってすごいんだな」と普通に思っていたし、あのパフォーマンスがトラジャのファンにとってどんな意味があったか全然知らなかった。

 

Travis Japanのこと何にも知らなかったわたし、半年前、YouTubeをみて見事に落ちました…。

 

最初に思ったこと、「まじで松松がトラジャにいる…じゃん…」いやほんとにびっくりした。松松加入の時期がちょうどわたしがおたくを離れていた頃だったから全然そのことを知らなくて。一年前くらいかな、松松がトラジャに入ったってことを風の噂程度で聞いてびっくりはしていたんだけど映像で見たわけではなかったから咀嚼できてはいなかった。わたしの中では、しゃかりきダンスの松松、牛さん柄のパジャマと赤いハートのパジャマ着ていた頃のあの赤ちゃんみたいな松と女の子みたいな松の松松のままでとまってたんだもん。そんな松松がトラジャにいるなんてJr.の世界めちゃめちゃまわってるな…というのが最初の印象だった。

 

ちなみに最初に見た動画は『Happy Groovy(2018単独)』なんでこの動画にたどり着いたのかが全く記憶にないんだけど、もうその先を進んでいったら完全に沼だった。ハピグルの曲調も楽しそうに踊る姿も、宮近くんのセンターから連鎖していくような振り付けも、アイドルなのに汗で前髪なくなってる子がいることも、その前髪をぐちゃぐちゃってするメンバーがいることも、動画に中毒性しかなかった。気づいたら何回も再生してて気がついたら歌えるようになってた、怖いね。

 

そしてたぶん3日間くらいでJr.チャンネルに上がっていた動画を全部みた…怖いね。

 

次にびっくりしたこと、「トラジャってこんなかわいい子たちの集まりなの…」いやだって「Travis Japan=ダンスをバキバキに踊るかっこいい人たち」っていうパブリックイメージが強すぎたから。知らなかった、こんなにふわふわした会話を繰り広げるひとたちだなんて。愛されるおばかっていう感じの子がこんなにたくさんいるなんて。ジャニーズのグループって、グループに1人もしくは2人くらいの割合でこういうキャラの子がいるイメージなんだけど、トラジャは………あれれ……。そしてのえるくんという存在がいることによってさらにみんなが愛おしく見えてくる。「Travis Japan=平和の象徴みたいな人たち」これもパブリックイメージに追加していこ

 

あとは「私服がかわいい…」いや待ってジャニーズJr.の私服をこんな風に合法的に見れる時代がきてたのか、と。OPENING CEREMONYのTシャツ着るうみくんいまどきのお洒落男子だなぁとか、元太くんが着てる古着のTシャツかわいいなぁとか、しめちゃんのチルデンニットとチェックシャツの組み合わせめっちゃ似合ってて可愛いなぁとか。好きな子の私服気になっちゃうタイプのおたくなので、YouTubeすごい!たのしい!感謝!という感じ。顔がいいのは知っていたけれどファッションセンスもいいのか…強いなTravis Japan

 

そしてYouTubeを見る日々の中で知っていく数々の事実…

トリプルカイトは同い年で同じ入所日で同じ血液型で同じ学校で同じクラスで初めてマイクを持った曲が同じ…?「まじか」しめちゃんに甘々なのえるくんが昔は正反対なしめちゃんにいらいらすることが多くてふたりの関係はバチバチだった…?「まじか」いまや振付の要である閑也はジャニーズに入ってからダンスをはじめた努力の人…?「まじか」元太くんは大河に出たいって夢のために黒髪を貫いて個人的に殺陣と乗馬を習っている…?「まじか」7人中5人が妹を持つリアルおにいちゃん…?「まじか」

 

いやいやまじか…次から次へとおたくが好きそうなエピでてくるじゃん…知れば知るほど好きになっていくこの感覚…こうなったらもう抜け出すなんて無理だよね(もうこっからは情報局に再入会する、ジャニーズwebに再登録する…というステップで見事に出戻りというわけです。さすがに自分でも想像していなかった現在すぎる)

 

でもやっぱり、歴史があるグループを好きになることはしんどかったりもする。だって何も見てきてないんだもん。言葉を選ばずに言えば、トラジャみたいな紆余曲折あったグループはその分、過去に重みがあって、その時代を知っている人と知らない人にどうしても分かれてしまう。わたしはこの先もずっとあの頃を知らない側のファンだし、いくらはてなブログを読んだってあの頃を知ることはできないから。なんて、こんなこと言ってたらおたくなんてやってられないか。

 

なにはともあれ、2019年春、Travis Japanを知れて、好きになれてよかった〜!もういまはこれだけ!

 

あの頃の西畑担として

 

もうこれで西畑担として文章を書くのは最後にしようと思う。最後に、忘れられずにいる「好き」だったあの頃の話を性懲りもなくしようと思う。

 

もう西畑担ではなくなったはずのわたしが突然そんな風に思い立ったのは


向井康二くんが念願のCDデビューをすることが決まったから。そして「次に流す涙は自分たちの嬉し涙」というTravis Japanののえるくんの言葉で「次涙を流すときはデビューしたとき」と言った永瀬廉くんを思い出したから。

 

廉くんがそんな言葉を口にしたのは、ジャニーズWESTが無事に7人でデビューすることが決まった2014年春、関ジュを旅立つ先輩たちのデビュー公演を観劇し、感謝の気持ちを伝えるというまいジャニの企画でのこと。一人ひとりが想いを手紙に書いて読んで、なにきんもジャニーズWESTも涙でいっぱいになってて。廉くんなんか溢れでる涙を何故か自分の袖じゃなくて流星の衣装の袖で拭いてたっけ。そんなふうにみんなが泣きながら想いを伝えるなか、唯一泣かなかったのが泣き虫だったはずの柊真くんだった。「もう僕は泣いてられないんで」って強く決意したみたいな柊真くんをみてファンはみんな泣いたよね。そして、番組の最後に廉くんが「次涙を流すときはデビューしたとき」て言って、他のメンバーもその言葉にうなずいて、テレビの前でファンもきっとうなずいてた。「この子たちのデビューという夢が叶うとき、一緒に泣きたい、一緒に泣こうね」ってきっとみんな思ってた。

 

この春の松竹座のコンサートで新曲として披露されたのが『Happy Happy Luckey you!!』そう、かの有名なハピラキだった。この春だって6人横一列なんかじゃなくて、ポスターにだってセトリにだって、わかりやすくしょうれんと他4人に格差はあったけど、ただまっすぐに6人の未来に夢を見られたのはきっとこの曲がもらえたからだったと、いまとなっては、思う。「夢に向かう道〜僕らの夢に出会う街〜」ってキラキラ歌う姿をみたら明るい未来を信じずにはいられなかったんだもん。あのときなにきんはみんな未成年だったし、なにわ皇子なんて小学生と中学生と高校生のグループだったんだよ、信じられる?ほんとにハピラキって大人になる前の少年たちにぴったりの曲だった。

 

春松竹が終わるとすぐ、しょうれんだけがクリエで公演を行うことが決まった。何故かしょうれんにはSexy Ageとかいう謎の名前がつけられて、東も西もジュニア担はSexyの呪縛に翻弄されてた。正直、その時しょうれん担の子たちは現場が増えたこと喜んでいたしわたしもクリエに足を運んだけど、なんだかんだでやっぱり楽しそうだった。それが西畑担としては羨ましくて悔しかったな。それと同時になにわ皇子Kin Kanという名前が消えつつあったこともあって、もしかしたらこのまま6人で一緒にいられなくなるんじゃないかってそんな風に考えるようになってしまったのが、この頃。

 

大吾くんが東京で公演を控えた廉くんを心配して紫耀くんに「いい意味で廉を引っ張っていってほしい」ってメールしたエピソード、全だいれん担がだいすきなエピだと思うんだけど、これもこの時期のこと。大吾くんはこんな頃からもうすでに大人だったんだなぁ。

 

2014年の夏、しょうれんはドリボ、大吾はSHOCK、康二流星はジャニーズWESTの舞台に出演することになる。松竹座で6人が集まることのなかった夏、バラバラの夏。わたしはこの夏に大きな後悔をひとつ残してきた。それは、SHOCKにいかなかったこと。あの夏のたった一度きりだったSHOCKカンパニーのダイゴを目にしなかったこと。バラバラの夏になってしまったことを「またみんなが集まったときのためにそれぞれ違う場所で個々の力をつけるとき」なんて言ってみんな強がってた、けどわたしにはそれすらもできなくて、6人でいられないならもうファンやめちゃいたいなぁって思ってたりして、ね。

 

もちろんそんな気持ちだったのは少数派できっとSHOCKへの出演を喜んだ西畑担が大多数だったと思う。だってあの有名なSHOCKに出るなんて想像もしていなかったことだったから。この頃のなにきんってかねこじの安定したボケツッコミとしょうれんのちょっとおばかなところと流星の圧倒的弟感ていうキャラ立ちがあって、大吾くんはどちらかといえばふわふわした喋り方で、え、眠いの?っていうような目で周りを見ていたようなイメージだったし、パフォーマンスでも立ち位置は端っこ、めちゃくちゃダンスができるとかめちゃくちゃ歌がうまいとか、ではなかったからね。

 

この公演にあたってたくさん努力をしたこと、たくさん苦しい思いもしたことを後に口にしていたけど、そこで得たものの大きさはその後のパフォーマンスを見れば歴然だった。まいジャニのショータイムを見て前と踊り方が全然違う…身体の使い方全然ちがう、SHOCK経験者すごい…てなったのを覚えている。

 

そんな夏も終わり、届いた2014クリパのお知らせメール、そこには金内柊真の文字がなかったんだよね、関西担めちゃくちゃざわついた。でもそのあと柊真くんの名前も入ったメールが再送されて、春ぶりの6人が揃う公演が決定した。あ、このときなぜかジェシーもいるっていう公演が何日かあったんだけど、あれなんでジェシーいたんだっけ。春松竹の団扇の写真をクリスマスツリーの背景に合成しただけのポスターの右上に配置されたジェシーさん、いま見ても違和感しかなくてめっちゃおもしろい。

 

そしてこのクリパがなにきん6人が舞台上に揃う最後の公演になった。新衣装(メンカラではなかったけど)を着て登場した6人の姿、あのときたくさんの人が望んでいた光景だったし、たぶんみんなの忘れられない光景になったはず。お手紙書きましょうのコーナーで印象的だったのは柊真くんから廉くんへのお手紙。「俺はお前らを一番心配してるし、一番応援してるよ。これからも関西を背負って頑張ってください」「廉、夢を夢で終わらせんなよ」なんて自分の夢を託すみたいな言い方をするからしんどかったなぁ。そのときに廉くんが「ぼくはやっぱりまいジャニメンバーが大好きです」って言ってくれたことも、まいジャニの新春スペシャルで「まいジャニコンをやりたい」と言ってくれたことも、あのときの不安定だったファンの、救いだった。

あの頃、しょうれんのためを思ったらもう6人でいること願ったらいけないんだみたいな、Jr.担なんだから括りに拘らずに物分かりよくならなきゃみたいな空気感もあって、6人が好きなのに好きだって言えなくなった。そんな中だったからこそ、まだ子どもだったからこそ言えたのかもしれない素直な言葉がほんとに嬉しくてね。

 

そしてしょうれんがセクゾのバックとして紅白出場を果たし、激動の2014年がおわる。

 

東はジャニワ、西はジャニーズWESTの一発めぇぇぇぇぇぇぇ公演で幕開けた2015年。いまとなってはツアーバックにつくこともなくなった大吾くんだけど、バックでしゃかりきに踊る大吾くんを見てるの結構好きだったなぁ。笑顔振りまきながら、松竹座で見るよりも小さく見える体を大きく使って踊る姿、好きしかなくてね。城ホの真ん中で踊るスワンソングも外周まわってたのしむハピラキもすごいよかった。

 

2015年春、廉くんが一人で座長をつとめた松竹座公演がはじまる。このときのポスター、廉くんひとりだけ圧倒的に写真が大きかったんだよね。廉くん、紫耀くんがセクバでツアー回るって理由で松竹出演なしになって、先輩がたくさんいる中で自分ひとりが座長になるってどんな気持ちだったんだろう。

 

それでも初日には紫耀くんが来てくれて6人でステージにたった。自分の居場所についてあまり喋らなくなってしまった紫耀くんの口から「松竹に出ないことにびっくりした」という言葉が聞けたこと、みんなが「毎日おいでよ」って口々に行って愛がいっぱいだったこと。柊真くんの卒業式みたいだった千秋楽には後輩たちが立ち位置構わずに柊真くんに抱きついて、バンバンでみんなで彼を囲んだこと。たぶんあの瞬間たちは松竹座史上で考えても歴史に残る公演だった、レポ待機組もみんな気持ちは松竹座にとんでた。

高校卒業の節目の季節だった。そして彼と同い年の大吾くんはアイドルとして夢を追うことをきめた。大学進学をしなかったのは少し意外だったけど、その選択に覚悟を感じて、正直ホッとした。

 

そして時差で伝えられたしょうれんの上京とキンプリの始まりとなった期間限定ユニットMr.king vs Mr.princeの結成とで本格的にふたりは東京で活動をするようになって、関西での仕事、残ったのはまいジャニ出演だけになった。そんな状況でもまいジャニはいつだって大切な場所でいてくれたなぁ、最後に思い出のツナギを着て、川遊びして、カレーを並んで作るなんて、最高の夏をくれたこと、本当に感謝の気持ちでいっぱいだった。

いま思えば、この頃からわたしは東京でのしょうれんの活動を追うことを、あえて、しなかった。かつては一緒に夢をみたしょうれんの隣には他に笑いあって前に進んでいく仲間ができて、関ジュとして活動してきたときのこと、口にしなくなってしまって、なかったことみたいにされたみたいのがわがままにも悔しくてね。いまのキンプリの活躍ぶりを見たらあのメンバーで組ませた偉い人たちの判断は間違ってなかったんだろうなと、あの時にしょうれんを東京に行かせたことで、関西とはちがう広い世界に行かせたことで彼らが得たことがたくさんあるんだろうなと、いまとなっては思うけれど、あのときはそんな風に大人になれなくて、それも後悔している。

 

そして、新生関ジュの幕開けは松竹座での「少年たち」だった。あの状況で「少年たち」をやらせてもらえることが決まったとき、メールに並んだ出演者欄を見たとき、正直複雑な気持ちもあった。トップクレジットになって、0番に立つことになった大吾くん、すごく自分を追い込んでいた気がする。雑誌だったりラジオだったりでいままでとはちがう強い発言をしていて、自分を奮い立たせてるみたいだったなぁ。なにきん解体について初めて口にして「まぁMr.king vs Mr.prince vs Mr.nishihataだと思ってるんで」なんて言ったりしてね。

ROTで大吾くんが「あの頃は焼け野原だって言われてた」と言っていた。もちろん柊真くんもしょうれんもいない関ジュに不安がなかったと言ったら嘘になる。不安もそうだけど何よりさみしかった、6人だったはずがたったの3人になっちゃうなんてね。でもあの夏の終わりにはもう焼け野原だなんてちっとも思わなかった。いや、思いたくなかったっていう方が正しいのかもしれない。あの夏は関ジュもファンも強かった。舞台に立っていた側はもちろん、それぞれのファンが「この夏をいままでに負けないものにしなくちゃ」って思っていたような気がする。みんなで必死に作り上げた「最高の未完成」だった。

 

松竹座での「少年たち」が終わると、東京・日生劇場でまた幕が上がった。東京に関ジュから大吾くん、康二、龍太くんの3人が出演。関西担だけではない現場はファンにとっても新鮮で緊張もしたけれど、たくさん爪痕残しているのを入る度に実感できた。個人的にはSHOWTIMEのスノストデイブレが羨ましくて仲間に入れて〜〜と思ったりもしたけれど、3人の青春アミーゴも結構好きだったなぁ。新生関ジュの基盤となる3人がこのタイミングで東京進出を果たしたこともあの頃の関ジュにとってきっと大きな意味があった。

 

この2015年夏が関ジュの新体制をつくったと、躓いて苦しんで、支え合って助け合った毎日だったと、後に大吾くんは振り返っていて、思い出すのはやっぱりあの夏か、と。ほんとに、忘れられない夏。

 

そうして関ジュのセンターとしてスタートを切った大吾くん、ここからは怒涛の大活躍ぶりをみせる。二度目の朝ドラ「あさが来た」への出演、主演映画「関西ジャニーズJr.の目指せ♪ドリームステージ」の公開、映画「PとJK」の出演が次々に決まる。西畑担の「大吾くんの髪型が変わる=何か仕事隠し持ってる」ていう思考回路ができてきたのもたぶんこの頃くらいからだよね。

 

主演映画の主題歌は『Dream catcher』「掴め、共に見上げた夢を、共に叫んだこの夢を」「生まれたてのこれからを信じて今すぐ旅立とう」って、夢も希望も儚さも葛藤も強さも弱さも全部を噛み締めた、この歌を歌う関西ジャニーズJr.がわたしは本当に大好きだった。切なくて儚くて、でもキラキラと明るくてそんな歌、2015年を必死に駆け抜けた彼らが歌うからこそ、最高の曲になった。

映画の中の「夢は口に出せば叶うもんやで」という台詞、大吾くん自身をも象徴していた。どんなに小さな夢でもその夢を叶えていく姿をみることがアイドルのファンの楽しさでもあると思うんだけど、大吾くんは、そういう楽しさをたくさんくれた。

 

ただその頃から、大吾くんにもグループが欲しいと、思っていた。大吾くんの周りには、康二も流星も龍太くんも他大勢の関ジュもいた。でもやっぱり本人が言っていたように「個人戦」で。デビューを目指すならまずグループがなきゃ、そしてそのグループを育てなきゃみたいに思っていたし、みんなが同じ方向を向いて大きな夢を一緒に描けるそんな確実な存在がいたらなと思っていた。ちょうどこの頃funky8の括りができたりして余計にそう思っていたのかもしれない。ユニットがなくて不安定だったあの頃に、非公式ではあったけどグループとして認められていた彼らの絆と彼らを応援するファンの勢いが羨ましくて。

そんな大吾くんにもいまはなにわ男子という一緒に前に進んでいく仲間ができた。彼らにとってもファンにとっても、もう"なにわ"はなにわ皇子ではなくなにわ男子を表わすものになったんだ。わたしが知らない間に、確実に前に進んできたんだね、かっこいい。流星と一緒に"なにわ"を守ってきた大吾くんがなにわ男子でもっとたくさんの大きな夢を叶えられますように。

 

 

そして最後に、康二ほんとにデビューおめでとう!!ブログでしょうれんと仕事で会ったってしれっと伝えてくれたし、「だいちゃん、待ってる」とも言ってくれたので、あの頃を経て、いまみんながアイドルでいてくれていることが尊いなぁと、改めて。

なにわ男子がデビューした暁には、永瀬廉、平野紫耀(King & Prince)、向井康二Snow Man)、西畑大吾大西流星(なにわ男子)に年末の東京ドームでハピラキを踊ってほしいとそんな風に思っているあの頃のファンがここにいるので、よろしくね。